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富山県高岡市といえば!万葉集ゆかりの地。


10月4日から6日まで、高岡は古城公園で「高岡万葉まつり」が行われました。


三昼夜かけて2000人以上もの人々が万葉集の全4,516首を歌い継ぐという狂気に満ちたイベント。だったようですが、コロナなどの影響もあって、ここ数年は録画を流すなど一部形式を変更して開催されているようです。


初日に少し撮影などして、最終日の今日は私も朗唱で参加させていただきました。

この日の古城公園は天気が良くて清々しい気分でした。



広い池の真ん中に作られたステージで万葉歌を詠むなんて、なかなかできない経験ですもの。衣装も着付けていただいて、なんだか不思議な気分でした。


節をつけて詠む方々が多くて、それはカッコいいけど恥ずかしい……。詠むだけでも結構難しいので、まず無難に、しかし丁寧に言葉を発することを心がけました。


国語の教科書を音読するのが好きだったのですが、見られていると思うと緊張しますね。


 

「いま泣いたカラスがもう笑った」


無事に終わって今度はイベントの撮影に繰り出しました。


車から機材を取って会場へ向かっている道すがら、お世話になっているお仕事先の方とそのご家族に遭遇。


ご挨拶して別れたその刹那。ふと思い立ち、「あのー、良かったら家族写真、撮りませんか?」なんて口走っていました。


余談ですが、家族写真って、自分ではほとんど撮影された経験がありません。


それに、一身上の理由により仕事でもほぼ撮りません。ウェディングも。


だけど、たまに撮りたくなる時があるんですよね。家族でいる瞬間に遭遇するってなかなかないですし、わざわざ他人に撮られる機会もないでしょうし。


たまたまこちらは写真を撮るのにちょっと慣れていて、たまたまカメラを持っていて操作できるから、そういうタイミングだったんだなと。


でも人によっては撮影されるのにふさわしい化粧や服装をしていなからと、躊躇われるんですよね。なので、あまり急にそういうことは言わないようにもしています。自分だったらやっぱり嫌だし。


でもね、なんか思いついてしまったんです。


そうしたら、思ったよりも喜んでいただけたのでホッとしました。


お父さんと、お母さんと、小学校に上がる前の可愛い2人の兄弟。

あまり人見知りもせず、素敵な笑顔を向けてくれました。


なんだかもっと色々撮りたくて、かけっこをさせたら弟が転んで、お兄ちゃんは構わず走り回っていて、それがとてもよかったです。


泣いちゃった弟くんをみんなでギュッてして!と言うと、みんながギューっと集まって、弟くんもお兄ちゃんも、お父さんもお母さんもみんなが笑って、とんでもなくよかったです。


ああ、幸せに形があるなら、きっとこういう形をしているのだろうなと思えるくらいに。


こういう瞬間、カメラマンでよかったなと心底思います。


目に見えるものばかり撮っている私が、目に見えない何かに心を動かされ、それがカメラという物質を通して目の前に写し出してくれているような気がします。


写真がちょっと上手くてよかったなあ。


人に喜んでもらえることができるなんて、本当に有り難いことです。

すっかり季節は秋めいてきましたが、実は今年の7月に東京から富山県高岡市に移住しました。


毎日のように記事を書いたり取材したり写真を撮ったりしています。


あれは確か4月の半ば頃のこと。


友人のほりたさんから高岡市が地域おこし協力隊を募集しているという情報が飛び込んできました。


ほりたさんが小矢部市に移住したのは2018年。ひょんなことから2023年末に高岡市へ引っ越し、かれこれ6年ほど。私もこの6年、富山には折々に足を運んではその魅力を知っていきました。


大自然が近くて、美味しいものがたくさんあって、伝統的な文化があって、クリエイターにとってはとても良い環境だと思います。それでも、いつか移住できたら良いなと漠然と思っていたくらいでした。


東京でやってきたような仕事をしたくてもツテがないし、車の無い自分には生活のアテも無いために、なかなか踏ん切りもつかず……。


そんな折にこの募集ですから、願ってもないチャンスでした。


大急ぎで書類を準備して、書類審査と面接を潜り抜け、有難いことに「観光PRライター」として採用して頂き今があります。


東京での暮らしは良くも悪くも手の届く範囲で完結するものだったと思います。そこらじゅうに劇場があって、いつでも何かしらのエンターテインメントがあって、何かしらの撮影仕事があるし、欲しいものはすぐに手に入る。


でも、自然がとても遠かったんですよね。東京に住んでいると、森の香りを胸いっぱいに吸ったり、浜辺を散歩したりすることは簡単ではありません。


とにかくどこに行っても人がたくさんいて、空が狭くて……。


大好きだけど、私にとっては息苦しい街でもあります。

人間に必要なのは、心静かになれる場所で自分を見つめ直したり、自然の理から美しさとは何かを考えたりすることなのだと思います。


高岡市の自宅からは海にも山にも車で30分くらいでアクセスできます。国宝や文化遺産がそこら中にあって、歴史が、文化が息づく場所なんです。

これがどんなに素晴らしいことなのか、ずっとここで暮らしてきて当たり前になっている人にはもしかしたら分からないかもしれませんよね。


私だって、東京の良さに気づいたのはつい最近でしたから。便利だなあって。


東京で生まれ育ったけれど、東京で生まれ育ったからこそ、「ふるさと」みたいなものへの憧れがあったんでしょうね。ああ、自分がずっと欲しかったのはこういう風景だったと実感しました。


こういう自分だからこそ分かることがあって、伝えられることがあるのだと思います。


高岡という街のさらなる発展のためにも、かつての自分のような人のためにも、そしてアーティストとしてこれから世界に羽ばたいていく人たちのためにも、ここから発信していきます。


そのためにも、私が世界に羽ばたかないとな……。


つらつらと書きましが、何よりも美味しいインドカレー屋さんが多いから住んだ方がいいんです絶対に。ああ、口を開くとインドカレーの話ばかりしてしまう病がまた……。

インディラの美味しさをもっと世の中に広めていかなくては。そんな使命感もありつつ、高岡に暮らしています。



私が枯れた花を撮る理由と、その魅力について書きました。




写真の練習に花を撮り始めたのですが、花にも人と同じように個性があり、その美しさを表現するためにどのような角度から、どのような光で撮るかを考えることは、やはりとてもスキルアップに繋がると思います。


花とだって会話してコミュニケーションを取ることはとても大切です。生き物ですから。


お花屋さんに行って、どういう角度で、どういう表情が美しいかというイメージが湧いた花を買って帰って撮影に望みます。どうにも迷った時は「我が家に来たいひとー!(花だけど)」と心の中で花たちに問いかけて、手を挙げたひと(花だけど)を買って行きます。


最初の頃は色々な種類の花を買って撮影していましたが、枯れた花の魅力に取り憑かれてからは撮影頻度が減っていきました。それもチューリップを撮ってからは特に。


あの美しさを目の当たりにしてしまったら、仕方ないと思います。あまりにも美しくて、ため息が出るほどですもの。


これならいっそ、私はチューリップ写真家と名乗ってもいいのではないかとさえ思い始めました。最期の瞬間の、あの儚さや美しさはとてつもないんです……。


私にとっては花の葬送儀式でもあります。


ただ花が枯れるのを待つのではなくて、同じ時を過ごしたものが迎える最期を共に見届けている感覚です。



毎年チューリップを送ってくれるお友達の家に遊びに行ったら、ちょっと前に咲いていたチューリップが枯れていました。


私のためにと、そのまま取っておいてくれたそう。やっぱり綺麗だなあ。


手持ちのコンデジで撮りながら、愛でてきました。



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